一人では決められない人びと

 先週後半からオミクロン感染者が「また増加傾向」などといい出し、注意喚起する「テレビ専門家」が増えた。いつまで経っても懲りない方々である。
 メディアも「前週比では~」「前週の同じ曜日に比べて~」と、昨年、一昨年から延々と同じことを繰り返している。ウクライナという話題が加わったのでコロナの扱いが変わったような気がするが、メディアのスタンスとテレビ専門家、東京都知事のいうことは殆んど変わっていない。
 小池東京都知事に至っては、政府が「まん防」を取り下げてからも「リバウンド警戒期間」なるものを設けて、これが終わってからも更にもう1カ月延長するという「コロナ遊び」をまだやっている。(いつまでだったか、多くの都民がもはや知らない)
 GW中に、メディアは「久々に何の規制もない連休」などとしきりにいっていたが、これは間違いであったはずだ。
 大体、〇人までなら〇時まではOKなどという飲食店利用のルールを都知事が自由に決める権限があるのか。これは微妙であって、やり方によっては明らかな違法行為であることを、私は繰り返し述べてきた。都知事はもっと自制的であらねばならない。「要請」に過ぎない、つまり、単なる「お願い」に過ぎないという「逃げ道」を作っておくのは、日本の官僚たちの常套手段であるが、これを「規制」「命令」と受け止めて従うのが我が国の市民なのだ。
 写真は、東京都が「認証店」などと称している飲食店に配布した「紙」である。お願いを聞いてくれてありがとうという感謝状のつもりであろうが、私の知っている複数の飲食店は、こんな紙切れの無駄使いまでして、と怒っており、「紙」としか言い様のない代物である。
 ここへきて、興味ある現象が顕れている。
 いつでもどこでも禁煙、は小池都知事の看板政策で、すっかり定着した感がある。今や大都市東京では、どこへ行っても喫煙できる場所は殆んどないのだ。私自身、事務所へ出る日は、自宅で1本目を吸って家を出ると、2本目は夜帰宅してからになるのが普通になってしまっている。
 ところが、ここ1~2カ月の現象であるが、「こっそり」灰皿を出す飲食店が増えている。私は外食が多く、飲食店の利用頻度は平均値を上回っていると思われ、いろいろな種類の飲食店を利用するが、喫煙可を復活させた飲食店は確実に増えている。
 小池都知事に対する反撥が強まっている・・・そう思わざるを得ない現象である。彼女のもたらした経済的損失の大きさを考えると、無理からぬことであろう。

 某大学が「そうだろうな」と思うような実験結果を発表した。
 IPS細胞を使ってミニ大腸を作り、デルタ株とオミクロン株に感染させたところ、デルタ株の場合はウイルスは増殖するが、オミクロン株の場合は全く増殖しなかったというのだ。B1でもB2でも結果は同じであったことも報告された。十分納得できる実験結果である。
 オミクロン株への置き換わりが始まった頃、「感染力が強い」という「警鐘」が幅を利かせたが、感染力とは感染速度のことである。そして、感染力の強さとウイルス毒性が反比例することはウイルス学の常識である。
 先の実験結果とこのウイルス学の常識は、見事に符合している。そして、オミクロン株では重症化しないという実態の傾向とも整合するのである。
 数日目にB4 とB5が初めて確認されたが、それらが市中に出回った頃、またぞろ「感染力が~」という声が大きくなるだろう。もしそうだとすれば、毒性は更に弱まることになる。
 もういい加減にせいと嘆きたいのは私だけではあるまい。折しもこの段落を書き始めた本日16日、東京都の「営業時短命令」は違法であるとの判決を下した。損害賠償を認めなかったのは、この「命令」に「専門家」が関与していたからである。つまり、東京都は「専門家」の見解も参考にして「命令」を出したので、「違法」ではあるが訴えた飲食店の損害を賠償する責を負わないというのである。では、誰が損害を賠償すべきなのか。コロナ専門家はとくと考えていただきたい。
 東京都の「要請」や「命令」は違法であると公言してきた私としては、この 東京地裁による「違法」であるとの判決は当然であると思うが、違法であるなら賠償責任を伴うことも当然であると考えている。原告は、さらに憲法判断を求めて控訴するようだ。

 ここへきて、マスクは必要か、はずすべきかという話題が盛り上がっている。
 必要かどうかと問われれば、必要はないだろう。勿論、いつでもどこでも中には風邪をひいている人はいるだろうし、口元にできものができて治るまで隠しておきたい人もいるだろう。そういう例外的な人がマスクをしていることは当然あり得ることだ。
 話題になっているのは、感染対策としての「マスク規制」を解除すべきかどうかということである。
 そもそもマスクをしなければならないなどという「規制」は存在しないし、「規制」が存在しないとすれば解除も何もない。何をバカげた議論をしているのか。
 いろいろな声を聞いていると、政府がマスクを解除すべきかどうか明確な結論を出すべきだというのが大方の結論になっている。何と愚かな結論か。
 この国の市民は、マスク一つについてもつける、はずすをお上に指示されないとできないらしい。実に驚くべき幼稚さである。
 確かに、街中も電車の中もマスク顔で溢れている。それは異様な光景である。この異様さに数少ない海外からの入国者は驚くようだ。
 そして、マスク顔の人びとの殆どの人が、隣人がつけているから、職場の同僚がつけているから、学校の友人がつけているから自分もつけているだけであって、風邪をひいたわけでも、発熱しているわけでもないのだ。つまり、「世間体」を気にしてつけているだけなのだ。
 同調圧力が物事を決定するこの国は、「世間体マスク」で溢れているのだ。
 若い女性には別の理由も存在する。
 「口元に自信がないから」「小顔に見えるから」「恥ずかしいから」・・・
 もはや何をかいわんや、である。
 テレビレポーターに答えている人びとの回答も異様である。
 「生まれてからずっとマスクなので、マスクのない生活を経験させてあげたい」
 「政府の方で、はよ決めてもらわんと私ら分からへん。。。」
 「ランニング中は確かに暑くて苦しいので、不織布でないのを使っています」

 だいぶ前のこと、つまりマスクをすることがまるで法的義務のように思われていた時期のことだが、50代のオッサンが電車内でノーマスクの若い男に注意して、逆にボコボコにされるという事件が起きた。オッサンは、所謂「マスク警察」をやったのだ。
 勿論、若い男の暴力は許されることではなく、直ぐ逮捕されたのは当然である。不運なことに、被害者はかなりの重傷を負い、後遺症まで残ってしまった。
 私が驚いたのは、この被害者が病院で初めてマスク着用に法的な規制が存在しないことを知ったという事実である。世の中には、殺人から窃盗、痴漢、万引き、立小便に至るまで、法律で罰せられる行為はたくさんある。被害者は、ノーマスクをこれらと同列の「犯罪」であると認識していたのだ。
 所謂「自粛警察」と呼ばれた、主としてオッサンたちは大体こういう認識をしている。ひと言でいえば、論理的思考力が異常に弱く、メディアリテラシーも低いのだ。これは、この被害者だけでなく、日本人特有の傾向である。従って我が国では、マスクの着脱も仕切りパネルを設置すべきかどうかも、すべて「お上」が決めてあげないと何も自分では決められないのだ。

 コロナとは全く無関係な話をする。
 銀行のロビーで出くわした、やはり50代と思しきオッサンのお話である。
 銀行のロビーには、大概案内係がいる。オッサンと女性案内スタッフのやり取りが耳に入って、私は愕然としたのだ。
 この男性は100万円を振り込もうとしているのだが、不安で仕方がないというのだ。案内係が窓口でもできるが、カード限度内金額だから下のフロアのATMでも問題はない、手数料はATMの方が安いと何度も説明している。しかし、男性は、
 「大丈夫ですか!?大金だから不安なんです!」
という言葉を繰り返すのである。
 男性はATMから振り込めることは知っているようなのだ。「大金だから不安だ」ということを何度も繰り返し、話が前へ進まないのである。
 確かに、100万円は大金である。しかし、ATMで振込操作をすればいいだけのことで、機械での振込が「不安」だというのなら、窓口で振込手続きをとればいいだけのことではないか。但し、窓口を利用するとATMより遥かに手数料は高い。さぁ、どちらにするかといっても、この二択は大した決断でもなかろう。しきりにATM利用が「不安」だというが、だったら窓口のスタッフを信用するしかないだろう。いずれにしても、有り金すべてを丁半バクチにかけるような「究極の二択」でもないのだ。一体、案内係にこれ以上何を求めているのか。
 私は、PCの不具合でネットバンキングが一時的に利用できず、カードに設定してある限度額を超えた振込があるので窓口に来ているだけなのだ。
 男性がどういう決断をしたか、気にはなったが、モニターに音声と共に私の番号が表示されたので、私は後ろ髪を引かれる思いであったが、その場を離れて結末を知らない。

 ノーマスクを犯罪だと信じ込んでいてマスク警察をやったオッサン、ATMか窓口か決められないオッサン・・・この二人に何の繋がりもない。関係性といえば、年代が同じとみらられるということぐらいであろう。
 しかし、私には二人が日本社会の伝統的な細胞のようにみえる。全く同じ細胞である。
 この細胞が、同調圧力を産み、ムラ社会のメンタリティを増殖させ、かつては昭和維新を成立させて大東亜戦争を推進したのである。

 どこでウイルスに感染したかを断定することは、まず不可能である。医学的な裏付けなど何もなくて、勝手にどこそこだといっているだけのことなのだ。
 それはそれでやむを得ないことであろうが、罹患すれば休んで回復を待ち、回復すればまた仕事なり学校なりへ復帰すればいいだけの話である。
 そのような当たり前のことを拒み、幼児・子供にまでマスクをさせるという異常さが何をもたらすか。子供たちは幼児期・子供時代に接するべきウイルスや雑菌から遮断され、言葉を覚えるという仕組みに組み込まれている表情を読むという能力を育む機会も奪われた。その恐ろしいツケは直ぐ顕れるだろう。
 この加害者もまた同じ細胞であることを思い知った時は、もう手遅れになっているかも知れない。

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