ドタキャン ~俺たちに明日はない~

どうにも対応の仕様がない直前になって約束を一方的にキャンセルすることを「ドタキャン」という。解りやすい略語で、「土壇場キャンセル」の略である。

男が改札口で女性を待っている。心躍るデートの約束。

こういう時、普通男は約束の時間の15分、20分前には約束の待ち合わせ場所に来ているものだ。1時間も前に近くに来ているというケースも決して珍しいことではない。

一方、女性が約束時間の前に現れることは、ほぼ100パーセントないといっていいだろう。間に合うように行けたとしても、敢えて約束の時間に少し遅れるものだ。今は事情も違ってきているようだが、かつてはそれが男と女の間に成立していた暗黙の約束事であったと思う。

「ごめん! 待ったぁ?」

「いや、僕も今来たとこ!」

この定番やり取りで楽しいデートは無事にスタートするのだ。

悲劇は突然襲来する。

スマホの時計は約束の12時だ。あと5~6分もすれば。。。

とその時、彼女からラインが入る。

ショートメールのような短い文面。急に別の用事ができて、今日は行けないという。精神的なダメージは別にして物理的な問題に絞ったとしても、男は「全く無駄な時間」を強いられたことになる。もう防ぎようのないタイミングにキャンセルされたわけで、それは確実に男の時間を奪うのである。

これが、解りやすいドタキャンの一つである。

この場合は、殆どの割合で男は「フラれた」のだと判定しても間違いないだろう。

私の掟では、女は男をフッても構わない。男女の間でフルのは女で、フラれるのは男の役割である。男が女と別れたいと思ったら、女が自分をフルように仕向けることが鉄則である。

このことを掘り下げることは、今はテーマではないので差し控える。

女は男をフッても構わないとはいえ、ドタキャンという手法が気に入らない。面と向かって気持ちを伝えればいいではないか。ほかにも平和的な方法は幾つもある。

ビジネスの場でのドタキャンは、それ以上に罪が重いといえるかも知れない。

私は、物書きと並行して小さな会社を経営しているが、今年は断続的に人手が足りなくなる事態が年初から想定されていたので人事募集を何度も行っている。書類選考で合格となった応募者には面接に来てもらうことになるのだが、この一連の採用業務において不愉快なマナー違反が続出するのだ。

その最たるものが、面接のドタキャンである。

書類選考に合格したので面接にお越しいただきたい旨の連絡を入れる。その際、応募者の都合も考慮し、大体3案ぐらいの日時の提示を行う。応募者はその中から一つを選び、伺いますという返信がくる。この時点で一つの面接が確定し、関係者のスケジュールも定まる。

これが、最終面接、といっても二次面接だが、その場合は面接官は私となり、私のスケジュールが埋まる。

ところが、面接当日、本人が現れないのだ。事前に何の連絡もない。30分経過しても現れない場合は、さすがに関係者は通常業務に復帰する。

これが、最も悪質な面接のキャンセルである。

しかし、これを「ドタキャン」とはいわない。これは、所謂「無断キャンセル」「無断欠席」であり、ドタキャン以上に悪質であると断じていい。

面接当日になって、急にメールで面接をキャンセルしてくる。これが、面接のドタキャンである。当日、それが午前中であっても、もはや当方のスケジュールを問題なく変更することはまず難しい。

では、前日の申し知れなら許されるか? ケースにもよるが、多少はまし、程度であって、当方に全く「損害」がないということはない。

自社の社員が1日ある業務に従事すれば幾らかかるか。つまり、「売りを立てる時の社員原価」は幾らでなければならないか。私どものような「専門サービス業」なら、どの企業でもそういう指標をもっている。これがなければ経営は「どんぶり勘定」になる。ドタキャンは、こういう企業経営の基本を直撃しているのだ。
 それをいう前に、そもそも社会人の基本マナーに違反していないか? どういう躾と教育を受けて社会へ出てきているのか。親と教師の顔が見たいものである。

私どもでは、採用の殆どは中途採用である。つまり、応募者は「転職」を望んでいる者ばかりである。平然と「無断キャンセル」「当日ドタキャン」を行う者に、望む転職など所詮無理というものであろう。

ここでは、絞って「無断キャンセル」と「当日ドタキャン」のみをドタキャンとしよう。1度の募集で応募してくる者は、少なくて150名前後、多い時は300名弱となる。この母数に対して、毎回必ず数名のドタキャンが発生する。

ドタキャンは、圧倒的に女性に多い。ジェンダーフリーが叫ばれる昨今、この言い方はまずい、ということになるが、私どものケース総合の数字の裏付けのある事実であってジェンダーフリー論とは全く関係のないことである。

出身大学別の統計をとれば、興味ある傾向が浮かび上がりそうであるが、統計学的な有意差がある場合であっても今どきは非難される非科学的な時代なのでやめておいた方が無難であろう。

ドタキャン以外の非常識なキャンセルとなると毎回かなりの件数になるが、これについては機会があれば実例をご紹介しよう。

因みに、ドタキャンのみに絞っても年代による差異は明確には(有意差があるとは)認められない。Z世代も、30代も、40代も、ドタキャンとなると等しく敢行するようである。

人事募集広告を扱うリクルート会社は、徹底して転職希望者を甘やかす時代である。新卒についても同様である。就職・転職マーケットにおける諸悪の根源は、このリクルート会社であると私は考えている。彼らが転職希望者や就活生を甘やかすことばかりに腐心した結果、転職・就職希望者は企業とは自分たちの希望を受け入れるものだと思い込んでいる。この思い込みは強烈で、人事募集の現場にはドタキャン以上の、笑ってはいられない異常なエピソードが溢れかえっているのである。

かつて取引していたあるリクルート会社。もう一度試してみようと考え、基本取引契約書を取り交わし、即、ある募集案件を発注した。ところが、「直ぐ動きます」との言葉とは裏腹に数カ月経っても全く何も音沙汰がない。宣伝メルマガだけが相変わらず綺麗ごとを並べて毎週必ず送り込まれてくる。

また、別のそこそこ規模の大きいリクルート会社。営業担当だけでなく、コピーライター、デザイナー、ディレクターなどと募集広告一つをやたら分業し、それぞれが当方の指示を聞かない。編集制作プロダクションである私どもにいわせれば、本来募集広告記事を書く者をコピーライターなどとは呼称しないし、ここでデザイナーといっているのは単に割付を行うだけではないか。益してディレクターとは何をするのか。営業担当は何をするのか。トラブル続出。最終的に管理部門から詫びが入り、営業担当が「お詫び」に来ることになった。

ところが、お詫び来社が決まっていた日時の直前にこの営業担当から電話が入り、別の用事が発生したからといってこのお詫び来社そのものがドタキャンされたのである。

もはや何をか言わん。。。

「俺たちに明日はない」とは著名な映画のタイトルにして有名なフレーズだが、「この社会に未来はない」といえば言い過ぎか。

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