「ゼロコロナ」を目指すの?

 6月10日から訪日外国人客の受け入れが再開された。2年ぶりとなる。対象は98の国と地域となっているから、一応「再開された」といっていいだろう。

 但し、システム上の登録開始が6月10日ということであって、今回の措置によって外国人観光客が日本に入国するのは6月末あたりからになるだろう。

 しかし、再開に当たって政府はいろいろな条件を設けた。それをみると、我が国は「ゼロコロナ」を目指しているのかと疑ってしまうのは私だけではあるまい。

 

 政府が設定した条件によれば、訪日できるのは添乗員付きのツアー客に限定され、ツアー客はマスクの着用を求められ、添乗員はツアー客個々の行動を監視・記録しておかなければならない。何だ、これは!? ここは共産中国か!?

 即ち、入国者の上限は撤廃せず、個人旅行客の受け入れはまだ行わないのだ。この措置について関西福祉大学のK教授は「少人数でガイドが付くツアーなら行動が把握できる。リスクが少ない慎重なスタートだ」と評価しているのだ(6月9日付朝日新聞)。全く呆れた話である。

 いやしくも学者なら、リスクが多い、少ないなどという思考ではなく、リスクのレベルを医学的に解説し、それに基づく見解を表明すべきであろう。「コロナとの共生」「With Corona」が謳われているが、それは「一定数の感染者」の発生を許容することが大前提となっているはずであり、自粛警察やマスク警察のようなコメントには意味がないのだ。それともK教授も「ゼロコロナ」を目指す視点でものをいっているのだろうか。

 

 殆どの市民がマスクを外そうとはしない我が国では、水際対策を緩めることには反対が多い。つまり、K教授のような考え(感情)は大勢の支持を受けるのだ。

 テレビ報道でロンドンとパリの市民の反応が紹介されていたが、当然のことながら彼ら彼女らはマスク着用に呆れていた。特に印象に残ったのは、パリの日本専門旅行会社の反応である。

 その会社の社長が、呆れたといった風情で淡々とインタビューに答えていた。

 「コロナ前には毎年1万人のフランス人を日本へ送っていた。今、日本へ行きたいと思っているフランス人は益々増えている。しかし、日本政府の発表を聞いて、日本へ行きたいと思っていたフランス人は日本へは行かないだろう」

 ロンドンの女性はもっとストレートだった。

 「マスク?ごめんだわ。日本へは行きたいけど、マスクしなければならないなんて、行かないわ。ほかのアジアへ行くわ」

 

 5月に開催された世界経済フォーラム年次総会において世界各国の観光魅力度ランキングが発表されたが、日本は初めて世界第1位となった。現実にコロナ禍前の時点で、1日あたり約9万人の外国人が日本を訪れており、今なら規制さえなければ11万人くらいにはなるだろうとみられている。つまり、年間4000万人である。

 残念ながら、日本は観光立国としての経済的、文化的受益を自ら放り捨てようとしているのだ。

 

 近年、「日本には日本のルールがある」「郷に入れば郷に従え、だ」などという言い方をする日本人が増えた。この感情、態度は、底流の部分で世界的なナショナリズムの高まりと関係がある。

 勿論、この感情はまだナショナリズムと呼んでいいのかどうかというレベルの素朴なものであって、決して危険なレベルにまで熟してはいないが、日本人は、この可燃性の高いナショナリズムの扱いが非常に下手である。ナショナリズムが燃え盛る時、根底には明治維新が生んだ「西欧コンプレックス」があるのだ。「西欧コンプレックス」に突き動かされて、素朴な民族感情が「危険なナショナリズム」として猛威を奮うという構造をもっている。

 要するに、西欧が怖いのである。大東亜戦争開戦と同時に海軍軍令部が特攻兵器の製造を決定・開始していたのも、この恐怖心故のことであるとも考えられるのである。そして、「神性天皇主義」という激烈な毒性をもつウイルスに冒された陸軍上層部が殊更「万世一系の~」と喚く様は、「弱い犬ほどよく吠える」という、まさにそのままであった。

 

 インバウンドの規制解除やマスク着用の是非について「日本には日本のルールがある」などといっているのは、このフレーズの使い方としては使うシーンが違う。これを使うべきシーンで常に海外の顔色ばかりを窺ってきた過去に対する後ろめたさがそうさせるのであろうが、新型コロナウィルスに対応する基本的な方針すら明確にせず、単にムラ社会の「同調圧力」だけで成立しているマスク着用について「日本には日本の~」などと開き直っても滑稽なだけであろう。

 「コロナとの共生」「With Corona」でいくのか、中国のように建て前としては「ゼロコロナ」を目指したいのか、この点についての考え方をはっきりさせた上で専門家も岸田総理も自らの発言を一度「校正」した方がいい。

 経済の立て直し(復興)を図りながらコロナに対応するというのならそれは「With Corona」であろう。では、「With Corona」とは具体的にどういう姿のことをいっているのか。

 コロナにかかってしまった、じゃあ、3~4日休もう、回復したから仕事に復帰します・・・これが「With Corona」の骨格である。

 人によっては4~5日かかるであろう。中には1週間必要ということもあるだろう。そんなことは自分で判断しなさいということだ。私たちは、独立した市民ではないのか。

 

 マスクの弊害は、早くも保育園児に表れている。これがどれほど深刻な事態をもたらすか、専門家は今、何故黙しているのか。違った弊害が成人にも表れるだろう。

 日本医師会会長中川氏は、退任を前にした記者会見で「間違いは犯さなかった」と公言した。恥を知れ。これが私の「はなむけ」の言葉である。

 JKビジネスというものがある。女子高生の使用済み下着は、それなりの値段で売れるのだ。勿論、使用済みに価値があるのであって、新品は売れない。

 同じように今、若い女性の使用済みマスクが売れる。これも、口紅がついているなどという使用済みでなければ売れない。若い女性って、50代はダメなの?と聞かれそうだが・・・それは常識的には小さな詐欺だ、と申し上げておこう。

 「顔が小さく見えるから」などといって絶対マスクを外さないあなた!幾らで売る気なの?と聞かれることがあるかも知れないが、そこで怒ってもパンチはない。いち早くマスク着用を解除した韓国では、直後に整形美容する人が30%急増したという報道があったが、その行動の方が「エビデンス」があるといえるのではないか。

 

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