言霊の国のエビデンス

 新型コロナ陽性者数が激減している。10月10(日)、もとの「体育の日」、東京の陽性者は60人まで落ち込み、前日に続いて今年の最低記録を更新した。その後も減少は続き、既に50人を切る日もある。減り過ぎである。
 10月10日は、昭和39(1964)年東京オリンピックの開会式が行われたことに因んで「体育の日」とされ、祝日となった日である。なぜこの日に開催されたかといえば、1年でもっとも晴天となる確率が高いからである。今年も例外ではなかった。東京2020が酷暑の7月に開催を強要されたことを思えば、当時のJOCはまだしっかりしていたといっていいだろう。

 それにしても、8月末以降の陽性者の減少には著しいものがある。日曜日の陽性者数の変化は以下の通りである。

  8月29日   3,081人   (この1週間 19,073人)
  9月05日   1,853人         (10,474人)
  9月12日   1,067人         ( 6,209人)
  9月19日    565人         ( 2,805人)
  9月26日    299人         ( 1,582人)
  10月3日    161人         ( 904人)
  10月10日    60人

 これは、やはり減り過ぎであろう。これでは、また小池百合子氏がどんな屁理屈をひねり出すやも知れぬ。
 実は、周知の通りこの急激な現象の理由は誰にも解っていないのだ。テレビ専門家は、ワクチン効果、国民の防止努力を主たる要因として「複合的な原因」としてあれこれ語るが、60%程度のワクチン接種率で集団免疫が成立しないことは世界的な常識である。
 この感染症そのものについては、まだ解っていないことが多いという。だとすれば、感染者数の激減についてもその理由が解らないのも当然ではないか。この期に及んで、まだ「気を緩めると~」などという、的外れな精神論を吐いている方を「専門家」などと呼ぶのは如何なものであろうか。

 世界的にも、いろいろな研究者の注目すべき見解が発表されているが、ウイルスそのものの弱毒化を始めとする、ウイルスの何らかの変異を主たる要因とする見解が力を得ていることは否定できない。加えて、2カ月周期説や季節要因も無視することはできないであろう。
 そうだとすれば、必ず来るとされている第6波に主力となるウイルスのタイプはどのようなものなのか。勿論、それも来てみないと解らないのである。少なくとも、第5波で猛威を奮ったとされるデルタ株の「リバウンド」などという現象でないことは、流石にテレビ専門家の一部も指摘している通りであって、そもそもダイエットじゃあるまいし、リバウンドなどという現象は存在しないのだ。

 日本医師会の中川会長が9月1日の記者会見で、「デルタ株は別の病気と考えるべき。空気感染の可能性はかなりある」と述べ、波紋を呼んだ。圧力団体日本医師会の根源的な責任を無視し続けているこの人の発言を素直に聞くことのできない人も多いだろうが、中川氏がどこまで“繊細に”言葉の意味を考え詰めて発言したかは分からないものの、空気感染ということについては専門家と呼ばれる人は正確に語っていただきたいものだ。新型コロナが空気感染によって感染拡大するなら、予防策が根本的に変わってくるからである。

 WHOの定義によれば、空気感染とは「飛沫核(エアロゾル)によって感染が起こること」をいう。では、「飛沫核」って何だ?
 飛沫核(エアロゾル)とは、「液体や固体が重力ですぐに落下せず、空気中を漂う状態のこと」をいうのだとする。煙や花粉、霧などが、代表的な飛沫核だという。
 「飛沫」と「飛沫核」・・・私たち素人にはなかなか難しい。
 ウイルスを含む「飛沫」は、サイズが大きくて直ぐ落下する。この前提に立つと、「ソーシャルディスタンス」とか「手指消毒」などの対策は有効である。
 ところが、飛沫が乾燥して小さくなった飛沫核(エアロゾル)は空気中を漂う。基準の大きさは、5マイクロメートル=0.005ミリ以下とされている。空気中を漂うということは、ソーシャルディスタンスも手指消毒も無意味とはいわないまでも、対策としての意味をほぼ失うのだ。

 昨年3月、WHOは、例えば気管挿管などの医療行為中には空気感染が起こり得るという見解を発表しながら、同時に「一般的な経路」ではないとし、「新型コロナは空気感染ではない」と、表現としては明快に空気感染を否定した。
 ところが、1年後の今年4月、「ウイルスはクシャミや呼吸の時に口や鼻から出る粒子で広がる」とし、その粒子とは「大きな飛沫から小さなエアロゾル=飛沫核まで様々」であると、これまた明快に言い切ったのである。つまりエアロゾルを「一般的な経路」として認めたのだ。WHOは、見解をはっきりと変えたということなのだ。
 見解を変えることは恥ずべきことではない。むしろ、何も解らなかった「新型」であるから、解明が進んで、結果として見解を変えることは責任組織として必要なことであろう。
 WHOだけでなく、CDC(アメリカ疾病対策センター)も同様である。現在ではCDCも「主要な感染経路」を「エアロゾル粒子を含む空気を吸い込むこと」としている。つまり、空気感染を認めているのだ。
 さあ、大変である。
 WHOもCDCも、「空気感染」を主たる感染経路として認めたのだ。日本は?
 テレビ専門家は、空気感染などといえば社会がパニックに陥るという。国(厚生労働省)が認めていないなどともいう。日頃、「エビデンス」という言葉を連発している人がこういうことをいっている。

 確かに、我が国では主たる感染経路は公式には二つしかないのだ。厚生労働省がハッキリと「飛沫感染」と「接触感染」と定めているのである。役所がそのようなことを定めてどうするか、と不審に思うのだが、とにかく新型コロナは「飛沫感染」と「接触感染」であって「空気感染」はしないというのだ。
 正確にいうと、「飛沫感染」と「接触感染」であると定めているだけで、感染経路を示す言葉として「空気感染」という言葉が存在しないのである。言葉が存在しない以上、そういう現象が存在してはいけない。テレビ専門家もメディアも、この基準で延々とコロナ禍情報を垂れ流しているのである。さすが、言霊の国というべきであろう。事実より言葉が優先するのだ。
 ところが、厚生労働省では1年前から「マスクなしで近い距離で会話するとマイクロ飛沫感染での感染リスクが高まる」などとして、「マイクロ飛沫感染」なる言葉を公式に使っているのだ。厚生労働省の専門家組織(脇田座長)では微細な飛沫=マイクロ飛沫という言葉を以前から使ってきたというし、感染症の専門家の間では、感染力が強い感染症の感染経路を表わす言葉として永年使われてきたらしく、「マイクロ飛沫感染」は「感染力が強い感染症の感染経路」で、感染者から遠くにいる人にも感染するとしている。
 ん? それって「エアロゾル感染」(空気感染)のことではないのか? いくら言霊の国だからといって、わざわざ別の言葉を創造する必要があるのか?
 この点になると、脇田座長は「エアロゾルを形成するのがマイクロ飛沫」だとし、「エアロゾルによる感染があるかといわれたら、あると思いますということだ」と、まるで失言した政治家の国会での釈明のようなことを朝日新聞に語っている。余計な修飾を取り去って発言のスジだけを受け留めれば、エアロゾル感染(空気感染)を認めているのである。

 この8月、感染症の専門家30人が「空気感染が主たる感染経路」であることを前提として、更なる対策を国に求める声明を発表した。改めて不織布マスクの着用、空気清浄機の活用が強調されたのはこの直後からである。しかし、空気感染という言葉は前面に出さなかった。この国では、こういうことまであからさまにすることを避けるのである。
 30人の一人である仙台医療センターの西村ウイルスセンター長は、「空気感染はどう感染するかを表わす言葉で、そこに感染力や距離の要素は含まれない」などと今更強調した上で、「ウイルスが含まれるのは口から出る粒子のごく一部で、街で感染者にすれ違ったくらいで感染する可能性は極めて低い」などと言い訳をしている。ならば、「人流」「人流」と喚くこともあるまい。

 何という無責任な人たちであろうか。何故、空気感染するという科学的事実をそのままはっきりと口にしないのか。空気感染する、しないでは、予防策が異なることは今や素人でも理解できるのだ。
 座長の脇田氏などは、感染者が減れば減ったで、「リバウンドが~」「下げ止まりがみられる」などと、とにかくネガティブな発言ばかり繰り返しておきながら、重大な事実になるとこの体たらくなのである。
 確かに、新型コロナに関しては厚労省の公式見解では「飛沫感染」と「接触感染」の二つの言葉しか存在しない。「空気感染」することが解っているのなら「空気感染」という言葉を加えればいいではないか。何のための専門家組織か。
 「マイクロ飛沫」などという言葉だけは勝手に創り、下手な政治家の国会答弁のようなグダグダと意味不明の釈明をすることは、これ以上不要である。この言霊の国に「空気感染」程度の言葉がないとでもお考えか。

 これが、日本の感染症の専門家の実態である。政府もメディアも、これを盾にして日々無難に過ごすことしか考えていないのだ。そういうメディアの垂れ流す情報を神のご託宣のように受け留めているあなたは、小池百合子氏と共に一生ステイホームをすることになるだろう。
 彼らが30人集まって声明を発表したのは、追い詰められたからである。世界が向いている方向からどんどんかけ離れていく感染の実態と対策・・・もう逃げている場合ではないと遅まきながら悟ったものとみえる。空気感染! 30人で発表すれば怖くない、ということであろう。

 斯くして、新型コロナの予防策は、1に換気、2に換気、3,4がなくて5に換気なのである。だからこそ、不織布マスクが有効なのだ。空気のよどみを作るようなパーテーションやビニール膜は撤去すべきであろう。ソーシャルディスタンスや手指消毒に殆ど意味がないことは、もうお分かりであろう。
 一部に流行っている鼻うがいが有効なことも、フランス、中国の研究機関が初期に発表し、ブータンがそれを実践し、今年に入って日本の大学もそれを裏づけた喫煙と感染防止の関係も、「空気感染」という事実を認めればすべて整合性がとれるのではないか。勿論、喫煙には別のリスクがあるだろうが、何もかも感情的に「一緒くた」にしてはいけない。
 
 言霊の精神とは、言葉にとらわれることではない。30人も集ったのなら、言霊の時代=万葉の時代のように「歌垣」でもやってナンパの気分を味わってみてはどうか。人が楽しく、幸せに生きることをどれほど渇望して今日まで歴史を刻んできたかを少しは感じるのではないか。
 不都合な真実に出くわした時、それは誰にとって不都合なのか、今一度胸に手を当てる必要がありはしないか。
 某病院が15億円弱という補助金を受け取りながら、この2年弱に受け入れた感染者は25名に過ぎないことが判明している。これは、特殊な例外ではない。
 いやしくも「専門家」を名乗るなら、己の保身や利益を優先した、天に恥じる言動だけはするなとお願いしておきたい。

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