丸一年続いている新型コロナ禍騒動はあまりにもバカバカしく、また腹立たしくもあり、一切触れないでやり過ごそうと思っていたが、度が過ぎているので看過できなくなった。勿論、私はすべての疾病について専門家ではないが、その素人からみても専門家と称してメディアでコメンテーターと一緒になって的外れな情緒的コメントを連日垂れ流している人たちをみていると、柄にもなく一種の危機感を感じるのだ。
今月5日、菅総理は3月7日に解除されるはずであった2度目の緊急事態宣言を、再度延長することを正式に発表した。対象は、首都圏4都県のみ。期間は2週間。このこと自体は、3日の夜から4日未明にかけてほぼ確定していて、4月初旬の講演会が予定されている私は、4日未明には主催者に対して開催判断についての見解を求めるメールを発信している。
菅総理は、相変わらずモゴモゴと不明瞭な発声で5日21時という時間から記者会見を行って、「リバウンドを防ぐために」ということを強調していることは分かったが、今回ばかりは小池都知事相手のマウンティングに負けたくなかった・・・そのことの方が強く伝わってきたのは私だけではあるまい。
「小池大嫌い!」だけのオヤジたち
パンデミックとして歴史に残ろうとしているこの度の世界的な新型コロナ騒動。世界各国さまざまな対策と成果が比較されているが、一応感染抑え込みに成功したとされる国が幾つか挙げられる。勿論、完璧に勝利したという国はないであろうが、「桁違いにうまくやった国」なら存在することに異論はない。見方によって異議はあるだろうが、ニュージーランド、台湾、ノルウエイ、フィンランド、デンマークなどがよく挙げられる。
これらの国の共通点は、リーダーが女性であることだ。ドイツも、惨憺たるヨーロッパの中では相対的には踏ん張っている方であろう。
こういう指摘をすると、また人口〇〇人当たりの感染者といったデータをもち出して「科学的にものを言え」などと批判する輩がネット社会には多いが、単位人口当たりのデータだけを取り上げれば、中国などは世界でも1、2位を争う新型コロナ勝利国である。こういう時だけ、中国というもっとも閉鎖された一党独裁国のそれを信じるのは説得力がないというものだ。
大事なことは「うまくやっている特徴」を参考にすることではないか。
既に、世界の様々な研究機関が女性リーダーと新型コロナ感染状況の相関について分析結果、見解を発表しているので、反論のある方はそれらをチェックしてから行えばいい。
決定的なことは、パンデミックに際しての決断力の差である。これには、我が国においても、多くの人に思い当たるフシがあるのではないか。
わが国で緊急事態宣言が発令された経緯をみれば明白だが、小池百合子氏がいなければ、安倍晋三氏も菅氏もそれを発動できなかったことは明白である。ところが、日本のオヤジメディアは小池氏が大嫌いで、何をやってもこき下ろす。これを、国際弁護士を名乗る八代氏や、爆笑問題の大田氏などがテレビで増幅して悦に入っている。
ある日のTBSワイドショーで、他に批判するフレーズが尽きたのか、八代氏は「政治的だ」などと述べていたが、小池氏は政治家である。当たり前であろう。「うがい薬が確実に効く」などと記者会見まで開いて強調した弁護士仲間の知事とは違うのだ。大田氏に至っては、本業のレベルを挙げろ、としか他に言うべきことはない。
安倍晋三氏が病気退陣を発表するや否や、複数の海外メディアが安倍氏と小池氏の写真を対比して掲げ、ご両人に対する評価比較を行っていた。次期首相には小池氏、という可能性があるとみたのだ。確かに、政治家としての能力に着目すれば妥当な見方であって、本会議場で『女帝』などというスキャンダル本を、議事そっちのけでカンニング読みしている野田聖子氏あたりとは器が違うのである。そういう彼女も、企業からの接待だけは一人前に受けるのである。
ところが、この国で総理大臣に求められるのは、政治能力ではない。政局の流れというものがあって、その本流に逆らうものは消去されるのである。能力が秀でている場合は、特に警戒され、大抵の場合は排除されてきた。永年、平均点のリーダーさえ稀にしか現れなかったのは、そういうことである。
斯くしてこの国のオヤジメディアは、常に小池パッシングに走るのである。連日テレビに登場するコメンテーターと称するオヤジたちも、結局はこういうオヤジメディアの広告塔に過ぎない。
解除の条件はクリアしているのに、なぜ?
私は、小池氏の施策に何でも賛成するものではない。当たり前であろう。
小池氏の施策や主張に対して論理的に賛成したり、批判したりしている識者は橋本徹氏以外に知らないが、この人は時々脱線するから困る。しかし、常に論理的であるという点では、どこのオピニオンリーダーより相対的には上等であろう。時に感情的に聞こえるコメントを発しているのは、対象があまりにも“阿呆”だからであって、橋本氏には“バカ”を相手にするなと忠告しておきたい。
いずれにしても、この度の緊急事態宣言の再延長は、あり得ない。厳しい言い方をすれば、菅政権の行った詐欺みたいな話である。
宣言発出直後に西村担当大臣は、解除条件について何と言っていたか。よもや忘れたとは言えないであろう。
東京の1日の新規感染者に換算して500名レベル。これが、政府の示した解除条件であった。これは、既に十分クリアしている。そのことは、菅総理も記者会見で明確に認めている。それでも、「リバウンのリスクがあるから」再延長するというのだ。
何を言っているのだろうか!?
1日500名レベルでリバウンドするのは、当たり前ではないか。その程度のことは、発出時点で解っていることではなかったのか。
いや、全く想定していなかったとでも仰るのであろうか。間違いであったとでも仰るのであろうか。間違いであったというなら、素直にそれを認めて、「ゴメン! 間違ってた!」とやればいい。
「8割おじさん」と呼ばれた西浦京都大学教授(理論疫学)の数理モデルが存在する。このモデルの有効性は既に立証されているというのに、政府も諮問機関も何故これを無視し、情緒的な物言いばかりをするのだろうか。このモデルは、既に4月以降についても明確に予測しているではないか。
東京都の新規感染者は劇的に減少した。ところが、減少したらしたで、「下げ止まり感がある」などと言い出す。これも当たり前であろう。公衆疫病の世界で、毎週母数が減っているというのに、毎週、毎週直線的に(傾向線としての一次線的に)感染者が減らないとおかしい。と言っている方がおかしいであろう。
政治能力の圧倒的な敗北
何やかやと言いながら、それでもワクチン接種が始まれば、というのが政府だけでなく関係者の大きな期待であったに違いない。ところが、我が国はこれについても稚拙な後手を踏んでいる。
当初、2月下旬から接種が始まるとされていたが、これが延びただけでなく、そもそも十分なドーズ(服用量、接種量)のワクチンが確保できないのだ。ファイザー社のワクチンについて6月末までに6,000万人分が確保できるとされていたが、これが年内に7,200万人分という契約しか交わせなかったのである。
注射器の問題を措くとしても、簡単に言えば、当初予定より半年ほど接種スケジュールが遅くなるのだ。ということは、「緊急事態宣言を発出せざるを得ない可能性を秘めた期間」が、半年も長くなるのである。これについて西浦教授は「日本の政治能力の圧倒的な敗北」であると断言する。
私たちは、この意味をしっかり理解しておく必要がある。
安倍政権時代になるが、日本政府(厚生労働省)は、ファイザー社に申し入れている、交渉していると言っていたが、何と驚くべきことにファイザーの日本支社を相手にしていたのである。世界中でワクチンの奪い合いが始まることが予想されていたというのに、日本支社で話がつくとでも思っていたのであろうか。ワクチン問題が騒々しくなり始めて初めて、官邸は気づいたのであろう、慌てて交渉を外務省ルートに切り替え、ファイザー本社との交渉に入ったというわけである。
日本支社を相手にしていたということが判明した時、私は唖然とした。ど素人の私でさえ唖然とするしかない動きで、交渉していると思っているこの国の官僚とは、一体どういう頭の構造をしているのか。まさか、7万円の接待料理を夢想してにやついていたわけではないだろうとは思うが、案外そうかも知れないというのが今の官僚のレベルだということであり、政治家も官僚に投げて終わり、というのがスタンダードであるということなのだ。
70年代あたりまでは、我が国はワクチンで世界をリードしていた。特に小児用ワクチンの世界では、我が国のワクチンがなければ世界中でもっと多くの子供たちが命を保つことができなかったであろう。幾つかのワクチンは、今でもその地位を保っている。
ところが、80年代以降、様相が一変する。その後、30年。今や、自国でなかなかワクチンを製造すること自体困難になったワクチン後進国となってしまった。
主たる理由は、80年代型の社会的価値観にある。この問題に深入りするとエッセーやコラムでは済まなくなるので、これについては機会を改めたい。
いずれにしても、今や各国を相手にできるだけの“おべっか”を使って、少しでもたくさん分けてもらうしかないのである。ただ、2~3年すれば、一つ、二つ、国産ワクチンが出てくるだろう。尤も、その時は、新型コロナはインフルエンザ並みの扱いになっている。
医療ひっ迫などあり得ない!
ワクチン以上に重大な問題が手つかずになっている。メディアが全く触れない問題である。
第3波と言われるステージに入ってから、どれほど「病床ひっ迫」「医療ひっ迫」とメディアも専門家と称する人びとも喚いたことか。感染者が激減してからも、「感染者は少なくなったが・・・」と言いながら、最後までこのフレーズを用いて人びとを脅し続けた。日本医師会会長中川氏に至っては、今にも命の選択を迫られているかのような深刻な表情をつくって危機感を煽り続けたものである。
OECDが昨年公表したデータによれば、我が国の人口1,000人当たりの病床数は、世界的にみても群を抜いて多い。
日本 13.0
ドイツ 8.0
フランス 5.9
中国 4.3
イタリア 3.1
アメリカ 2.9
イギリス 2.5
そして、感染者数、重症者数、死者数などは桁違いに少ない。こういう状況で、医療ひっ迫! と大騒ぎしているのである。
いや、医師の数が、医療従事者の数が、という反論があるかも知れない。
確かに、医師の数は人口1,000人当たりでみるとアメリカ並みの2.5人(アメリカは2.6人)で、ドイツ(4.3人)やイタリア(4.0人)より少ない。しかし、看護師数は同11.3人で、ドイツ(12.9人)にはわずかに及ばないが、アメリカ(11.7人)と変わらず、イギリス(7.8人)やイタリア(5.8人)よりはるかに多いのだ。(いずれもOECD発表データ)
真の専門家は、欧米に比べれば日本の重傷者数、死者数は「さざ波程度」と言うが、では、その程度で何故「医療崩壊」などと騒ぐのか。
騒ぐこと自体がおかしいのだが、実は我が国の医療機関は3分の2が民間で、公立病院、公的病院が異常に少ないのだ。しかも、民間の医療機関で新型コロナの診療に参加しているのは僅か21%なのである。公的病院は83%、公立病院は71%が、新型コロナと戦っている。民間病院は減収になるからという理由で、そもそも新型コロナとの戦いに参加していないのである。
ということは、全医療機関の40%しかこの戦いに参加していないことになる。60%は参戦せずに、40%の同業者の奮戦を観戦しているだけ、ということなのだ。この状態を病床数で表現すると、新型コロナ患者に使われている病床は、僅か3%弱なのである。これで「医療ひっ迫」などとよくも言えたものである。
この民間の医療機関の利益代表が日本医師会であり、ご存じの通りこの団体は長年にわたって圧力団体として自民党政治を操ってきた。公的な病院を作らせなかったのも、この日本医師会である。高齢者と呼ばれる人びとは、その事実をよく知っているはずなのだ。
昨年春、イタリアが医療崩壊を起こした時、ドイツはイタリアの重傷者を引き受けた。今年に入ってからは、ノルウエイがスウェーデンの重傷者を引き受けている。我が国では、60%の医療機関が「我、関せず」なのである。
このような事実を中川日本医師会長が知らないわけがないであろう。ワイドショーの専門家たちは、何故ここに言及しないのか。できるわけ、ないか・・・。
政治家や中川氏に、「医療ひっ迫」などと二度と言わせてはならない。この国にそれがあるとすれば、それは人災である。
市民は市民で、戦前同様の「パターナリズム」から卒業できない痴呆的なオヤジが、子供が公園でマスクなしで遊んでいると市役所に怒鳴り込み、クラスターが発生した私立の学校に「この県から出ていけ!」と抗議電話をかけまくり、営業を続けている飲食店に「非国民!」というビラを張り付けて営業を妨害し、他県ナンバーの車にもビラを張り付けて攻撃している。ネットでは、「犯人を特定した!」と、無関係な人の写真を拡散させるという犯罪が横行している。
大丈夫か、この国は?
いや、とんでもない、普通の風邪もコロナウイルスが15~35%という事実さえ知ろうとしないこの国民に明日はない。