浴衣の君は

♪浴衣の君は
ススキのかんざし♪

 と唄ったのは、拓郎だった。私も、偶にカラオケで唄ってしまうことがある。
 この場合の浴衣は、明らかに「旅の宿」で、宿が用意してくれた浴衣である。
 この歌が流行ったのは昭和47年で、いわゆる高度成長期、私が社会人3年目で生意気盛りに差しかかった頃であった。
 因みに、拓郎は私と同齢で、2ヶ月ほど彼の方が“高齢”である。この時代は、若い女性と浴衣などという極めて「日本的なるもの」の距離がもっとも遠かった時代で、「旅の宿」という「非日常空間」でも設定しない限り、この詩は成立しなかったのである。即ち、浴衣の意味が、今日復活している浴衣とは違うのだ。ついでながら、作詞は「襟裳岬」の詩人岡本おさみで、岡本と拓郎のコンビによる楽曲は30曲を超える。
 こういうことをいうと、何でも大雑把に「昔はねぇ~」のひと言で括ってしまう私と同年代の年寄りは「そんなことはない!」と、いい加減な記憶を頼りに異議を唱えるものだが、時は「ピーコック・レボリューション」の真っただ中、日本的なるものの価値がもっとも下落した時代であった。日本的なるものとは、カッコ悪かったのである。浴衣で夏の宵を楽しむ女性など、まず存在しなかった。
 バブルが弾け飛んで、90年代のどこかから風向きが変わった。京の町屋に憧れる若い女性が出現し、おやじが集う立ち飲み屋にも若い女性が現れ、「江戸仕草」なる言葉が女性誌に登場するようになった。そして、“小便臭い”ガングロ女子までが、浴衣で電車に乗り込んできて大股広げて座るような場面にも出くわすようになった。
 こういう現象はすべて、私が日頃いっている「パラダイムシフト」という社会的価値観の大変動と繋がっている。「コロナで世の中が変わる」といわれているが、それも同じことで、「パラダイムシフト」という現象が加速するのだ。「コロナ」がきっかけとなって加速するだけで、コロナが流行しようがしまいが、いずれは変わるものなのだ。
 近年は井の頭池の周りにも、浴衣姿の女性を見ることが普通になった。いいものである。
 ところで、浴衣は何故色っぽいか。
 足がはだけるから……違う。それは、まだ青い。もっと直截的な色香を発している。襟……胸元である。厳密にいえば浴衣に限らないが、和装の胸元というものはす~っと容易に手を滑り込ませることができるのだ。そういう錯覚を与えてくれるものなのだ。益して浴衣の場合は、1枚である。それができると思わせることが色っぽいのだ。当然、このことによって浴衣の女性と隣り合わせでベンチなどに腰かける時の男の位置は、左右どちらであるべきかが自ずと決まるのである。
 いつものことながら、相変わらず非生産的なことを考えている。
 今は沖縄に住む、知り合いの若いデザイナーから便りがあった。彼は、昔井の頭池の近くに住んでいたことがあった。その便りにいうには、池の傍の住まいは夏は蚊が大変だから、決して窓を開けっ放しにしてはいけないということだ。網戸になっていても、蚊というものはどこかから侵入してくるものである。
 自然の中に暮らすとはそういうことだからと、ある程度覚悟はしていたのだが、不思議なことにこの夏もまた、まだ一匹の蚊にも出くわしていないのだ。尤も、夏はまだ始まったばかりであるが、昨夏も確か蚊の侵入はなかった。
 練馬に住もうが世田谷に住もうが、ひと夏に何度か蚊には遭遇する。恐らく銀座界隈に住んでいても、同じであろう。それが、ここ井の頭池の傍に10年も居ながら、蚊には殆どお目にかかっていないのである。
 池の南端から神田川が始まる。その両側に生い茂る木立の枝が、ベランダの至近まで押し寄せている。木立を遊び場とする野鳥が、朝ベランダの手すりに居ることはあるが、今年も蚊はまだ現れない。
 そういえば、近江の里山に居た少年時代、どの家でも夏の夜は蚊帳を張って寝たものである。田舎は「藪蚊」が多く、蚊帳を吊らないと蚊の襲来が激しく、とても寝られたものではなかった。近江の里山の藪蚊は、殆どが「はまだら蚊」で、これは血を吸われて腕や足のあちこちがボコボコに大きく腫れ上がるだけのことだが、時に「あかいえ蚊」が混じっているのが危険である。「あかいえ蚊」は日本脳炎を媒介する。田舎の家屋というのは隙間が多く、雨戸を閉めていても、障子を閉めていても何かが屋内に入ってくるのだ。蛇や黄金虫はいうに及ばず、時に狸さえ入ってくる環境で、藪蚊が襲来するのは極めて自然なことなのだ。そして、夜の蚊は、蚊帳でしか防げない。
 蚊帳の中で寝苦しい時間を悶々と過ごしていると、蚊帳の外側のふちに蛍が留まる。蛍も屋内に入ってくるのだ。そして、夥しい数の蛍が、連なって青白い光を発する。こればかりは、里山の夏の夜の慰めとして捨てたものではない。
 蚊帳は通常緑で、そのふちは大概赤である。この赤がまた、妙に艶っぽい。蚊帳の中を蛍が照らし、中に浴衣の女性が一人、ほのかに私に微笑みかける。舞台装置は確かに整っていたのに、何故こういうシーンが一度もなかったのであろう。
 Stay at homeの一夜、例によってWOWOWのライブチャネルを観ていたら、拓郎がまだ往生際悪くコンサートを開いて唄っていた。

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